Back Light Museum

日頃のこととかを時々ぼそぼそと

『君の膵臓をたべたい』を観たはなしではほとんどない

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今、なうで思ってることをばっと書いてみる。

重いから読まなくていいと思う。

 

『君の膵臓をたべたい』っていう映画を観た。予想していたけど泣いた。

なんだか声があてっぽいなぁとか、

楽しいところに行くんだと行った先が福岡の太宰府天満宮

っていうのにはもの申したいこともあるけれど、

病気で亡くなると思ってたこの結末。そこからの宝探しのくだり。

お口ぽっかりだったし、そして泣いた。

 

そして、その宝探しで見つかったお手紙。

「君」「君」と言ってた主人公が、そこでは手紙を送った相手の名前をたくさん呼ぶ。

僕は映画を観るときに人の名前は全然頭に入れられないタイプなんだけど、

「君」「君」とずっと劇中言ってるので、名前を言われると気にかかった。

その名前が僕にとってパンチラインでそっから号泣した。

 

映画が終わってTwitterを見ていたら、

今よく行ってるお店の店員さんの一人が卒業を決めるって

ブログが流れてきた。悲しい。

あちらは認知もしてくれていないと思うし、話したことも二、三度しかない。

でもなんか落ち着き感とかだったり、顔がタイプだったりで

好きだったので、陰ながら応援していた。その人がお店を卒業する。

 

そして推しも店を卒業する。

 

物語でも現実でもなんだかお別れが多い。お別れの季節は春じゃないのか?

いろんなお別れがある。どれも悲しい。

 

突然の別れは悲しい。時々思い返すし、

自分がなぜ生かされてしまっているのか

自問自答したりが今でも時々ある。

 

卒業とか交際の別れ、友人や恩師、家族との離れ離れの別れも悲しい。

でもその人とは繋がろうと思えばつながれる。

会話もできる、会ったりもできる。

生きていて、自由に会える。それはとてもミラクルな奇跡だ。嬉しい。

 

推しの方々とのお別れも悲しい。

時々一人になったときに推しがいなくなったら、

自分はどうなるんだろう?と考えたりする。

きっと普通に過ごしてるし、生活もできる。

でも「それ」があったほうが絶対に世界は楽しい。僕はそれに生かされる

 

でもそれももう少しで終わる。

ただそこに希望があるとすれば、きっと最後の最後まで

推しとは笑顔で接して、笑顔で泣き笑いして終わるし、

自分たちの知らないどこかで、推しはきちんと居てくれている。

「居る」ということはすごい。そこにはたくさんの可能性があると思う。

会えなくても、きっとどこかには「居る」。

 

推しとは残りの少ない日数を楽しみたいし、楽しんで欲しいし、

陰ながら応援してた店員さんも残りが楽しく素敵な毎日だったらなと思う。

そして「君の膵臓をたべたい」は良い映画だった。

 

恥ずかしいし、重たいからいつか気が変わったら消そうと思う。

早く「月曜から夜ふかし」観て、悲しい気持ちとはばいばいばいしたいね。

明日は会社です、全然楽しいし、頑張ります。はい、おしまい

 

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