研修が終わったはなし
約4ヶ月続いた研修が終わった。
その時々ではきつかったり、これは無理だ、あぁつらいつらいとなってたんだけど、
まぁ、終わってしまえば、それなりに楽しかったし、得るものがたくさんあった。
個人のものとチームのものと2回もプレゼンをして、とっても疲れた。
人の前で話すのは苦手ではないのだけれど、それなりにエネルギーがいる。
自分の信頼のおけない人たちの前だとすっごいメンタルや気を使う。だから疲れた。
発表してるのを先輩が画像なりか動画なりで撮影してる気がしたんですよね。記録として。
もうね、地獄だなって。自分の容姿やしゃべり方が本当に好きじゃないので、
あぁ、撮ってる撮ってる。これは一体のちに何に使われるんでしょうか。って。
きっと「面白いけど、ヤバイやついるなぁ」って
苦笑いされるんだろうなぁ。あぁぁぁぁぁぁ
中学校で生徒会長してた時に、全校生徒の前で月に一回挨拶しなきゃいけなくて、
その挨拶の仕方を同級生におちょくられたことがあって、それは今でも覚えていて、
今でもそいつより良い人生送ってやると思っている。(そういう人ばっかりかも…)
それで、そう。
今日は自分なりに頑張ったんだけど、
みんな褒めてくれてんだけど、それが本当なのかなって疑心暗鬼?っていうの、
信じられないというか、「自分なんて、いやいやぁ~」って本気で謙遜してしまうというか、
「とはいえ、本当は違う風におもってるんでしょ~?」って思ってしまう自分がいて、
あとは普通にその研修とは関係なく
普段の業務であそこはあぁした方がいいよとかあれはあぁだよぉっていうのをね、
ちょっとくらいまして。
おぉ、今日それ言うのか?この前も食らったぞ、
最近ちゅ良いのインターバル短くなってきてないか?
今日くらいはたーーーくさんほめてくださーーいっていう。
でなんか思ったのが
褒めてくれるときはSNSとか、紙に書くとか、文字として定着したものちょうだいって思った。
そしたら自分なりにゆっくり時間をかけて咀嚼して、
こそっとスクショとかして、味がなくなっても噛み続けられるので。
推しのリプとかそういう意味で本当に効力があるっていうか、
やりとりが文字として定着して残る意義みたいなのをすっごく感じるわけです。
(恋人同士とかさ、もっとラブレターとかでお互い好きって言った方が良いよ。
褒めれる時に互いの言葉をぶつけてほめあって翁~~~~~~)
口頭の褒めは素直に受け止められないし、すぐに耳を通って消えてしまう。
なので、手紙とかそう言うのでたくさん褒めて欲しいし、応援して欲しい!
ていう。まぁ、そういう話。
まぁ、もらしたいぐちの詳細はまだ5倍くらいはあるけれど、それはただの愚痴でしかなくて
それを本当に本心んで思ってるのかと言われたら、そう言うわけでもないし、
まぁ、長々とキーボードを打っているうちに飲み込めたので、
はい、一旦今日はおしまい。
ちょっと前は雨がずっと降ってて、残業でクタクタになった帰りに
道路の真ん中を自転車でぴゅーーって。これ、リリスクの「つれっててよ」ごっこだなって。